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Bordertourism around Japan
001 中ロ朝国境(中国吉林省・ロシア沿海地方、北朝鮮)-北東アジアのゴールデントライアングル
中国吉林省とロシア沿海地方、北朝鮮の3カ国は陸と川の国境で隔てられている。そのうち、中ロ間を外国人が陸路で移動できるのは、延辺朝鮮族自治州の最東端に位置する琿春のイミグレーションで、ロシア側の町はクラスキノ。同じ気候風土でありながら、国境を超えると、風景は驚くほど一変する。2018年にはこの国境からロシア入りする際のビザが電子化されることがすでに報じられており、行きやすくなる。また中朝間は車、朝ロ間は鉄道、船で出入国できる環境が整いつつある。
002 中ロ国境(中国黒龍江省・ロシア沿海地方)-相互に行き交う中ロの旅行者たち
中国黒龍江省とロシア沿海地方は、陸と河(烏蘇江)、湖(興凱湖)で隔てられている。外国人が渡れるのは、綏芬河のイミグレーションからで、ロシア側の町はポグラニチヌイ。中ロの民が両国を行き交う光景が日常的に見られる。綏芬河の南には、満州国時代に建設された東寧要塞が残っており、一般公開されている。
003 中ロ国境(中国内蒙古自治区・ロシア ザバイカリエ地方)-知られざる辺境の風景
中国内蒙古自治区の東北部に位置するフルンボイル市とその周辺は、ロシアのザバイカリエ地方と国境を接している。黒龍江(アムール河)の支流であるアルグン河が両国を隔てている。清朝末期、両国を往来する中国人労働者は多く、ロシア人と結婚する者もいたため、現在でもアルグン河のほとりには、彼らの血を継ぐオロス族(俄罗斯族=ロシア族)という少数民族が暮らしている。
004 中蒙国境(中国内蒙古自治区・モンゴル)-どこまでも続く草原に国境線はない
中国内蒙古自治区の東北部で、ロシアと国境を接する満洲里から阿爾山にかけての一帯は、モンゴル国との陸路の国境でもある。もっとも、そこはただの草原で、目に見えるわかりやすい国境線はない。かなたに点在するパオや馬、羊などの群れが見られるだけである。しかし、この草原はノモンハン事件の舞台でもあり、いまでも多くの要塞の跡が残っている。
005 中朝国境(中国吉林省・北朝鮮)-豆満江をはさんで朝鮮の人々が往来
中国吉林省延辺朝鮮族自治州は、北朝鮮の咸鏡北道と羅先特別市と国境を接している。両国を隔てているのは、長白山(朝鮮名:白頭山)を源流とする図們江(朝鮮名:豆満江)で、日本海に流れている。この地域にはいくつものイミグレーションがあるが、唯一外国人が渡れるのは、琿春市郊外にある圏河で、羅先特別市に入るのはここからだ。図們市は対岸の町、南陽が一望に見渡せる恰好のスポットで、観光客も多い。
006 中朝国境(中国遼寧省・北朝鮮)-中朝民間交流の最前線
中国遼寧省は、長白山(朝鮮名:白頭山)を源流とする鴨緑江で北朝鮮と接している。なかでも丹東市は、中朝貿易の最大の拠点として知られ、対岸の新義州とは鉄橋が結ばれている。高層マンションの林立する中国側と開発の遅れた朝鮮側との対照的な光景が印象的だ。鴨緑江の上流域では、丹東以外のいくつもの場所から遊覧船が出ていて、気軽に国境観光を体験できる。
007 ウラジオストク(ロシア)-日本にいちばん近いヨーロッパ、太平洋ロシアの顔
ウラジオストクは極東ロシア沿海地方の中心都市で、シベリア鉄道の終着駅。「日本に一番近いヨーロッパ」といわれる。19世紀後半、帝政ロシアが建造した港町は、彼らがいう「太平洋ロシア」の顔であり、近隣諸国のどの町とも景観が異なっている。西洋都市そのものなのだ。その一方、隣国の中国や北朝鮮のみならず、中央アジアからの移民やモンゴル系のブリヤート人、韓国人観光客なども訪れ、北東アジアのいまを象徴する国際都市になっている。
008 ユジノサハリンスク(ロシア)-日本にいちばん近いヨーロッパの田舎町
日本からのフライト1時間40分。かつて樺太と呼ばれた北の大地には、教会通いを欠かさない、物静かで心優しいロシア人が暮らしていた。そこには近隣アジアの国々とは違う、すがすがしい「ヨーロッパの田舎町」がある。もっとも、サハリンの州都ユジノサハリンスクはいま新しく変わりつつある。週末の夜には、若者が繰り出すおしゃれなライブハウスやカフェ、劇場、美術館など、現代的なスポットも生まれている。
009 サハリン地方の町-北緯50度を越えて
サハリンでは南北を走る鉄道や近郊の町をつなぐバスを利用すれば、地方の田舎町の旅が楽しめる。ポロナイスクから車で北へ約1時間半走ると、かつてのソ連と日本の北緯50度の国境線が敷かれていた場所があり、道路沿いの白樺並木の中に、国境碑が置かれていた台座の跡が残っている。ここは戦前期まで、多くの日本人が訪れるボーダーツーリズムのスポットだった。
010 サハリン旧王子製紙工場廃墟群
サハリンには樺太時代に建てられた王子製紙工場が9ヵ所あり、ペレストロイカ以降の市場化で操業を停止したまま、いまも廃墟と化してその姿を残している。そのうち、5ヵ所(豊原=ユジノサハリンスク、落合=ドリンスク、大泊=コルサコフ、真岡=ホルムスク、敷香=ポロナイスク)を訪ねた。
011 延吉-中国朝鮮族の暮らす町
中国吉林省の延辺朝鮮族自治州は、55あるという中国の少数民族のひとつである朝鮮族の多く暮らす地域で、その中心都市が延吉だ。朝鮮族の多くは19世紀に南からこの地に渡ってきた人たちの後裔で、街にはハングル文字があふれている。最近では韓国からの文化的影響が強まり、移民も増えている。ボーダーツーリズムの舞台としても面白い町だ。
012 長白山-中朝にまたがる美しい霊山
中国と北朝鮮の両国をまたいでそびえる長白山(朝鮮名:白頭山)は、巨大なカルデラ湖(天池という)と美しい裾野を持つ霊山だ。清朝を興した満洲族と朝鮮民族がともに建国神話の舞台としている。そのため、カルデラ湖の真ん中に国境線が敷かれている。高原植物の咲き乱れる夏は、多くの登山客が訪れており、山岳リゾート化が進んでいる。中国側からは、北坡、西坡、南坡の3つの登山道がある。
013 綏芬河-ロシア人が買い物に来る町
中国黒龍江省の東南部に位置する綏芬河は、ロシア人が観光や買い物で訪れる町になっている。彼らは国際バスや鉄道を利用してやって来る。そのため、綏芬河の街にはロシア語の看板があふれている。最近では、中国人によるウラジオストクへのバスツアーも増えていて、双方向の交流が見られる興味深い町だ。
014 ハイラルとフルンボイル平原-中国では稀少となった草原エリア
中国内蒙古自治区の北東部に位置するフルンボイル平原は、いまもモンゴルの草原が残っている数少ないエリア。そのため、夏には多くの中国人が草原観光のために訪れている。その中心都市がハイラル区で、蒙古族が多く暮らす。ただし、政府による急速な開発の波は草原にも及んでおり、伝統的な風景を大きく変えつつある。ロシア国境にも近く、ボーダーツーリズムを体験できる。
015 満洲里-「シベリア鉄道」最果ての国境のいま
中国からモスクワに至る「シベリア鉄道」の中国側国境駅である満洲里は、19世紀末にロシア人によって建設された。最果ての国境というイメージが変わったのは、21世紀に入ってから。中国経済の成長による木材バブルで、高層ビルが建つほど活況を見せた。ただし、それも過去のものとなり、いまでは夏の短い期間、都会から訪れる国内客の草原観光の起点としてにぎわうようになっている。
016 丹東-中朝国境最大の町
丹東は中朝国境最大の町として、近頃何かと話題になることが多い。戦前は、日清・日露戦争時の重要な拠点で、日本人も多く住んでいた。現在は、市街地の西部に「丹東新区」というニュータウンが建設され、中朝友誼橋に代わる巨大な吊り橋の新鴨緑江大橋が完成した。だが、朝鮮側では未だに出入国管理を開始しておらず、野ざらしとなっている。朝鮮族や満洲族も多く住み、北朝鮮から来たビジネスマンの姿も見られる。
017 集安-中朝国境にある高句麗2番目の都
集安は中国吉林省の南部にある小都市で、北朝鮮との国境の町である。かつて古代国家・高句麗の2番目の都があった。有名なのは4世紀末に即位した広開大王(好太王)だろう。集安の市街地は城壁の跡がそこかしこに残っており、郊外には好太王碑や丸都山城、将軍墳や禹山貴族墓地などの古墳群がある。日本の高松塚古墳に見られるものと同様の壁画も残っており、古代日本との関係も強い。2004年、世界文化遺産として登録されている。
018 ハルビン-ロシア人がつくった中国の町
中国黒龍江省の省都ハルビンは、19世紀末にロシア人によって造られた都市だ。冬には零下30度以下になる厳寒の地だが、この百十数年で、松花江沿いの小さな村は人口は600万人もの大都会へと変貌した。市内にはロシア時代に建てられた洋風建築がいまも多く残る。地勢的には国境に位置しているわけではないが、歴史的、文化的にみて、ボーダーツーリズムの舞台にふさわしい。
019 牡丹江-渤海国遺跡への起点の町
牡丹江は中国黒龍江省南東部に位置し、ロシア東部国境の町・綏芬河や延辺朝鮮族自治州の延吉、ハバロフスク方面の国境への交通の要衝。20世紀初頭のロシアによる東清鉄道への敷設によって生まれた都市だ。なかにし礼の『赤い月』は終戦前夜の牡丹江が舞台。南の近郊には7世紀末にこの地に勃興した渤海国の都、上京龍泉府遺址がある。写真の石灯篭は渤海時代のもの。
020 長春-かつて満洲国の首都として造られた都市
中国吉林省の省都、長春は1930年代に日本によって建国された満洲国の首都だった。最先端の都市計画により建設され、当時の日本国内よりはるかに進んだ生活水準を誇ったが、敗戦によりあっけなく終焉。21世紀以降の中国経済の躍進の中で、その歴史が足かせとなり、発展の遅れが指摘されている。写真は、満洲国当時の関東軍司令部で、現在中国共産党吉林省委員会。日本の城郭のような異彩を放っている。
021 吉林-松花江沿いにある古都
中国吉林省の古都、吉林は長白山から流れる松花江沿いの町だ。河畔には高句麗時代の山城跡も残る。郊外には、満洲国時代に造られたダムによる人工湖の松花湖があり、行楽地となっている。写真は2015年に開業した松花湖プリンスホテルのスキー場で、中国一の施設を誇る。氷結した松花湖が見える。
022 瀋陽-清朝の故地、東京駅に似た駅舎の残る都市
中国遼寧省の省都、瀋陽は清朝を興した女真族(満洲族)のヌルハチが最初に建てた後金国の都(盛京)。その後北京に都が移されると、奉天府として第2の都となった。市内には世界遺産の故宮をはじめ、清朝ゆかりの歴史遺跡が多く残っている。日露戦争以降は日本の勢力下に入り、重工業が発展した。写真は、現在の瀋陽駅。東京駅の設計をした辰野金吾の弟子が設計したこともあり、外観が似ているといわれる。背後に、高速鉄道の巨大な駅舎が見える。